- 430
- Saxo Grammaticus(サクソ・グラマティクス)の
Gesta Danorum(デーン人の功績)によれば、デンマークの王
Frode(フローデ)は征服した多くの国からの軍隊を率いてフン族を退治したという。
- 443
- 西ヨーロッパがフン族(A.D. 406~436 - 彼らのもっとも有名な王はアッティラ)に脅かされているとき、アングレ族は( The Anglo-Saxon Chronicleによると) ピクト族との闘いに参加しないかと誘われた。アンゲル族は、南ユトランドのどこかとエルベ川流域に生息していたといわれている。
- 449
- ジュート人、サクソン人、アングレ人は、ブリテンの闘いに参加。ブリトン人は新参者によって争われる。
- 515
- 現存する資料で知られるうちでは最初のデンマークの王が、フランク王国に対する闘いで死亡する。 Name: Huglik [or Chocillaicus in Gregor
of Tours' annals].
- 737
- Danevirke (ダーネビアケ)という土塁が南ユトランドに作られ始める。これは、もともと外部からの防衛のためにできたらしいが、これを基盤にして王をもつ共同体が拡張していったらしい。
- 772
- カール大帝によるフランク王国の拡張が北欧にも及ぶが、ホルシュタイン地方に深い森林があったため、数世紀デーン人の安泰は続いた。
- 787-1066
- ヴァイキングの時代
デーン人はイギリス・フランス・スペインなどに侵攻する。
- 808
- デーン人、スラブの一族を降服させる。
- 811
- 8世紀後半にカール大帝が王国を拡張するに当たって、デンマークはDanevirkeによって防衛することができた。デンマークとフランク王国の境は、A.D.
811.に Eider (アイダー川)に制定された。
Haithabu(ハイタブ)が返還される。
フランク帝国の資料は、811年 Annales regni Francorum などにあり、デンマークの詳しい記述がある、ゴッドフレッドまたは彼の祖先は、800年より少し前に南・北デンマーク人を統一したと思われる。そして最後には、捕虜がフランク帝国に送られた。そのデーン人の捕虜は南ユトランド・ジーランド・スコーネから来ていて、当時恐らくノルウェーもデンマークの王をいただいていたと思われる。
- 825
- 最初の通貨ができる。
- 845
- ハンブルグがデンマークのヴァイキングによって攻撃され、焼かれる。デンマークにキリスト教を紹介したハンブルグの大司教Ansgar(アンスガー)は、ブレーメン聖堂に移る。
- 874
- デーン人、北東イングランドを支配する。
- 890-935 (circa)
- ヴァイキングの長、Svealand のOlaf(オーラフ)を中心としてHaithabu(ハイタブ)に個別の王国ができる。オーラフの息子、グヌーパは戦死し、彼の王国は消滅する。王ゴームがA.D. 935にこの王国を再建したといわれる。
- 911
- デンマークのヴァイキングの長であるRollo(ロロ)は、フランク王国のCharles the Simple(シャルル 簡易王)に公爵としてノルマンディーで承認される。.
- 948
- シュレスヴィヒ司教管轄区設立。
- 958-986/988
- Harald Gormsson (a.k.a. "Black-tooth")ハラルド・ゴームソンがデンマークとノルウェーを一つの王国として連結させる。スコーネ、ユトランドなどはそれより共通の王をもつことになる。800年代初頭のGodfred(ゴッドフレッド)などはこれである。また、ハラルドは960年ごろキリスト教を導入し、Jelling(イェリング/ユトランド)の石にデンマークをキリスト教国にしたことを書き残した。
- 965
- Hallald Gormsson(ハラルド・ゴームソン)(a.k.a.
"Blatand" - Black-Tooth) が洗礼を受ける。
- 983-1253
- Sonderjylland(ソナユラン/南ユトランド) がデンマークとして統一される。
- 1013
- 王Svend Tveskag (スヴェン 二重ひげ)、イングランド征服。デンマークはイングランドを1042年まで支配。
- 1018-35
- Knud den Store (クヌット大王)は、デンマーク、イングランド、ノルウェー、南スウェーデンを含む王国を支配する。この時期にキリスト教が普及する。彼の死後、王国は分裂した。
- 1022
- Roskilde(ロスキレ)司教管轄区設立。
- 1060
- 王 Svend Estridsen (スヴェン・エストリドセン)が司教Egino(エギーノ)のためにLund(ルンド/スウェーデン)の近くの Dalby(ダルビュ)に教会を建てる。(この教会は、スカンジナビア半島でもっとも古い)
1000年代にはローマ・カトリック教会が多く建てられ、これによって国がsogne(教会区)に分割された。
この年に、教会が新しい司教をもって再編成される。
Lund, Aarhus, Borglum, Ribe and Odense.
- 1074
- 王 Svend Estridsen (スヴェン・エストリドセン)の死後、デンマークは彼の息子たちによってばらばらに統治された。 スコーネの議会は、Knud ("the Holy")
(クヌット聖王)を支持していたが、1086年ジュート人の反乱にあい、王は殺害される。
- 1080
- ブレーメン司教とカンタベリー司教はデンマークの独裁と闘ってきたが、この処置として国王がルンドに聖堂建設のための多大な寄付をした。こうしてカセドラル・スクールがルンドに創設され
1086、現在も続いている。
- 1104
- Lund(ルンド)に最初のarch-bishop(大司教)。スカンジナヴィアはハンブルグに属さず、独立した教会制度を設立した。
これをもって農民は、教会に収穫の1割を税として収めることになる。
- 1137-1157
- デンマークは、スコーネ、ジーランド、ユトランドの3つに分かれていた。同じ王をもつことに賛成せず、王Valdemar the Great(ヴァルデマー大王)が1157年に即位すると戦争が起こった。
- 1145
- ルンドに大聖堂が設立される。
- 1167
- コペンハーゲンHavn(港) の設立。
- 1168
- The Vendic の城、Arkona(アルコナ)が Rugen(リューゲン)島に建てられ王
Valdemar the Great(バルデマー大王)によって占領される。
- 1171
- はじめての法典がシェラン島にできる。
- 1195
- Saxo (サクソ)が北欧史を執筆。
- 1201-1227
- King Valdemar II Sejr(ヴァルデマー2世勝利王) はHolstein(ホルシュタイン)をHamburg(ハンブルグ)とともに征服するが、連合ドイツ軍によって奪回される。彼は、Pomerania(ポメラニア)と
Mecklenburg(メクレンブルグ)も征服し、北ヨーロッパの強力な国家となるが、貴族と王の間に戦争が起こり、王による支配は崩壊する。
country erupted.
- 1202-1210
- スコーネ法が書かれる。これは50年後にルーン文字に翻訳される。
- 1219
- ヴァルデマー2世勝利王 の北エストニア侵攻。伝説によれば、
デンマークの国旗である"Dannebrogen"(ダーネブロー)が闘いのさなか天から降りてきたという。ダーネブローは、現在使用されているうちでは世界最古の国旗である。
- 1253-1325
- デンマークの南の国境はJarl(公爵)という地位のものの軍隊によって守られていた。シュレスヴィヒは、若い王子たちの財源にもなっていたが。ハンザ同盟とドイツ帝国が拡張するにつれて、ホルシュタイン伯爵、シュレスヴィヒ公爵、ハンザ同盟はデンマーク国王に反感を抱き、長期にわたるいくつもの戦争が起こった。
同時に、ルンド大司教は現世的な国王に対しての超越、少なくとも国王からの独立を求めていた。貴族は、Danehof
(議会)による国の統治を望んでいた。
- 1320-32
- 王 Christoffer II (クリストファー2世)は、貴族と聖職者たちに対して、王家の権力に関してかなり譲歩しなければならなかった。王家の権力は、またハンザ同盟の力によっても縮小された。
スコーネの貴族は、 (alternatively the Thing in Lund) 1330年代のはじめに Magnus Eriksson(マグヌス・エリクソン)を国王として選出した。
- 1332-40
- 戦争による出費のため、徴収した税金はほとんどすべて金融業者(主にホルシュタイン公爵)にとられ、デンマークの皇太子にはお金がなく、王位の継承ができなかった。
- 1340-75
- 国王Valdemar IV Atterdag (ヴァルデマー4世アタダー)が王位継承.彼は、国王の権威回復に成功する。
- 1346
- エストニアで暴動が起こり、デンマークは北エストニアの領地を the Order チュートン人の騎士団に売却する。
- 1349‐50
- ヨーロッパに黒死病が蔓延する。ヴァルデマー4世アタダーは、これを機に所有者のなくなった財産を回収し、王家の財源とする。
- 1360
- Valdemar IV Atterdag (ヴァルデマー4世アタダー)、再びスコーネに侵攻。
- 1361
- ヴァルデマー4世アタダーが Gotland(ゴットランド/現スウェーデン南部)に侵攻。ゴットランドは当時ハンザ同盟にとって重要な交易拠点であり、このためヴァルデマー対スウェーデン/ハンザ同盟の葛藤が始まる。
- 1368
- ハンザ大戦争。75のハンザ都市が海峡近くのデンマークの城を攻撃。この結果、1370年のStralsund(ストラルソン) 講和条約において、ハンザ同盟はバルト海沿岸における優位を獲得する。
- 1375
- ノルウェーの5歳の皇太子、Olof オーロフがデンマーク国王に選出される。同時に彼の母であるマルグレーテ(ヴァルデマー4世アタダーの娘)が摂政となる。1380オーロフはノルウェー国王も兼ね、このデンマーク・ノルウェーの連盟は1814年まで続く。マルグレーテは何とかしてオーロフをスウェーデン国王としても認めさせようとするが、オーロフは1387年に他界してしまう。
- 1386
- 南の国境での紛争を避け、シュレスヴィヒ地方を奪回するため、女王 Queen
Margrete I (マルグレーテ1世/ヴァルデマー4世の娘)は、シュレスヴィヒをホルシュタイン伯爵の領地として、デンマークのシュレスヴィヒ公爵領とドイツのホルシュタイン伯爵を連盟させる。この連結は、1920年に北シュレスヴィヒが分裂したとはいえ、それ以来続いている。
1440年まで、シュレスヴィヒの公爵は国における公爵の義務について王と意見が一致しなかった。
- 1388
- 王妃であり未亡人であり、1387年に死亡するのちの国王オーラフの母であったマルグレーテは、ノルウェーとスウェーデンで
"plenipotentiary lady and rightful warden"
(全権を持つ女性・公正な統治者)として迎えられる。
- 1389-96
- マルグレーテの姉の孫であるErik of Pomerania (ポメラニアのエリック)が王位を継承すると、ノルウェー・デンマークの女王マルグレーテは、カルマル同盟によってデンマーク・ノルウェー・スウェーデンを統一する。
- 1429
- オーアスン海峡通過の商品に対する関税が ポメラニアの王 エリックによって制定される。これはデンマークの皇太子にとって重要な財源となる。しかし、ハンザ同盟や教会から反感をかったので、彼の統治はあまりうまくいかなかったらしい。スウェーデンで謀反が起き、彼に対する反感がノルウェー・デンマークにも広がったこともあって、1438年にゴットランドに亡命している。
- 1440
- エリックの甥、Christopher of Bavaria が王位を継承する。
- 1448
- オールデンブルグ家(ホルシュタイン伯爵家系)のChristian I(クリスチャン1世)が国王に選出され、現在までデンマークを支配する。
- 1460-74
- クリスチャン1世は、シュレスヴィヒ(1460) とホルシュタインの(1474)公爵となる。
- 1471
コペンハーゲン大学創設される
- 1495
最初のデンマーク語の本が出版される。”Den
Danske Rimkrønikle"(デンマーク韻文クロニクル)‐歴史を 韻文で書いたものだった。
- 15th ct
- 15世紀を通じて、vornedskab(農奴制) が実施される。(たとえば、領主の許可なく土地を離れてはいけない、など)
- 1523
- デンマーク国王クリスチャン2世の指導でスウェーデン人が「ストックホルムの血浴」事件で反乱を起こしたことにより、カルマル同盟は崩壊する。デンマークとノルウェーの連盟は続く。
- 1526
Frederik I (フレデリック1世)、デンマーク国教会の独立を宣言。
- 1534-36
- フレデリック1世の死後、王位継承をめぐってGrevefejden (伯爵の闘い)が起こる。争っていた点は、「ハンザ同盟の影響」と、「ルター国教会」についてであった。1536年以降はハンザ同盟の支配は終焉をとげる。フレデリックのルター派の息子は国王クリスチャン3世になる。
- 1536
- Christian III(クリスチャン3世)による宗教改革。デンマークはルター派を導入。カトリック教会の聖職者は投獄され、財産を没収される。
- 1645
- デンマーク・ノルウェーは Gotland, Jamtland, Osel and Harjedal
をスウェーデンに割譲。スウェーデンは国王クリスチャン4世が30年戦争の仲裁をしてから平和になった。
Halland(ハランド)は30年にわたって譲渡された。
- 1658-60
- ロスキレ講和条約。デンマーク・ノルウェーはスウェーデンのSkane, Halland, Blekinge, Bohuslan, and Trondelagスコーネ、ハランド、ブレキング、ボーフスランとトロンデラグをスウェーデンに返還する。
1660年に絶対君主制が確立し、これは1848年まで続く。
- 1671-85
- Religious tolerance
カトリック(1671), ユダヤ (1684) カルビン派(1685)
が信仰と信教の自由を与えられる。
- 1675-79, 1700-21
- 「スコーネの闘い」のちの「北欧大戦争」において、デンマークは1658年に失った土地をとりもどそうとするが、失敗する。しかしこれによってスウェーデンは紛糾し、以前に所有していたいくつかの土地はデンマークにとりかえされる。
- 1702/33
- 農奴制(vornedskab) が1702年にやっと廃止される。しかし、1733に導入された新法は、
stavnsbandet -男性の農民で、36歳以下のものは地主の許可なしに土地から離れてはならない。
(当時国土の5%以下のみが農民の所有だった)
- 1721-1864
- シュレスヴィヒの公爵領は全てデンマーク国王が統治していた。 1773年 デンマークはOldenburgと引き換えにシュレスヴィヒの全土を得る。デンマーク国王は同時にホルシュタイン(ドイツ帝国領)公爵となる。
- 1781
- 農地改革。
- 1800
- デンマークは、ロシア・プロイセンと協定。農奴制stavnsbandetは再び廃止される。土地の借用は、労働でなく金銭によって支払われるようになり、ほとんどの農地は農民に売却された。1815年には、60%の農業経営者が土地を所有していたが、かなり借金していた。農業従事者と経営者の格差が開いていった(農業従事者の数は、1801年において国民の半数であった)。
- April 1801
- イギリス、コペンハーゲン沖でデンマークに打撃を与える。Slaget pa Reden(停泊地の打撃)
- September 1807
- ウェリントンの率いるイギリス艦隊、コペンハーゲンを爆撃。デンマークはフランスと同盟を結ぶ。
- 1813-14
- ナポレオンとの連盟はデンマークにとって経済危機などの疫病神となる。キール平和条約で、デンマークはスウェーデンとノルウェーを割譲。
- 1848-51
- 第1次シュレスヴィヒ戦争。デンマークが勝利し、結果は現状維持となる。
- 1849
- 国王Fredrik VII(フレデリック7世)は、新政府とともに新憲法を承認する。一連の社会・教育改革が行われる。.
信教の自由が規定され、教会は国家からの独立を宣言する。しかし、この独立は、主に教会の内紛のため実現されたことはなかった。国王・あるいは女王は教会の主として牧師を任命し、賛美歌を認定する。
- 1863-64
- デンマーク、「11月憲法」採択。これは、シュレスヴィヒ(ホルシュタインは含まれない)の統合が目的であった。これは、デンマークによる1851年の協定違反であり、そのためプロイセン・オーストリアはシュレスヴィヒ征服のために宣戦布告する。この第2次シュレスヴィヒ戦争でデンマークは敗北する。
- 1901
- 内閣制度導入。
- 1914-18
- デンマークは第1次世界大戦において中立を維持。
- 1917
- 国民投票の結果、3つの西インド諸島(現USのバージニア諸島)をアメリカに売却。
- 1920
- Sonderjylland (ソナユラン/旧シュレスヴィヒ) が国民投票によりデンマークに返還される。
- 1933
- 大規模な社会改革が行われ、現代デンマーク福祉国家の基盤ができる。
- 1940
- 4月9日、ドイツ軍は事前にデンマークが中立を宣言していたにもかかわらずデンマークを占領する。デンマーク政府は、国防による抵抗は放棄する。しかし、デンマーク人は政府・内閣の実権は占領中を通じて維持した。
- 1943
- デンマーク政府とドイツ軍の関係が急激に悪化する。デンマーク在住のユダヤ人の多くはスウェーデンに避難する。国内の市民グループは、抵抗運動に従事し、これをナチスは弾圧する。
- 1944
- アイスランドは国民投票によりデンマークからの独立を宣言。
- 1945
- 4-5th of May デンマークに侵攻したドイツ軍がイギリスに降服する。第2次世界大戦の終結により、ドイツ軍によるデンマーク占領も終結した。ボーンホルム島に侵攻していたドイツ軍はソビエトの赤軍に降服することを拒否したため、ボーンホルムはそれから数日後にドイツ軍が降服するまでソビエトの爆撃に苦しむ。.
- 1948
- フェロー諸島はデンマーク王国における自治を承認される。
- 1949
- デンマーク、NATOに理事国として参加。
- 1953
- 憲法が一部改正され、グリーンランドの状態が「植民地」からamt(県にあたる自治体)と書きなおされる。内閣は二院制から一院制に変わる。同時に、女王の王位継承が承認される。
The Nordic Council (北欧議会)の開設。
- 1972
- デンマークは国民投票の結果ECに加盟する。
- 1979
- グリーンランドで国内法が承認され、内政の施行がはじまる。
- 1992
- マーストリヒト条約(ヨーロッパ連合EUに関する条約)についての国民投票においてデンマークの結果は「NO」と出る。この結果は、ヨーロッパ全土に衝撃を与える。
- 1993
- マーストリヒト条約に関して新たな国民投票が行われる。これは、ヨーロッパの共通通貨・市民権・防衛・政策などに関するものだった。ここでは「はい」と出た。
- デンマーク、サッカーで歴史上初の優勝。
- デンマーク、エディンバラ条約を批准。
- 1995
- デンマーク国教会ではじめての女性司教。
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地図
ヴァイキングの遠征
1000年
1220年
1350‐60年
黒死病の流行
1400年
1478年
1563年
1617年
1648年
1658年
1660年ごろのスウェーデン
1772年
1809年 |